科学的トレーニングとは

近年「科学的トレーニングを行うことの重要性」を良く耳にします。この「科学的トレーニング」と「証拠に基づいたトレーニング」という言葉は同意語のように用いられることが多いと思います。しかし、ヒトを含めた生物は超複雑系であるため、それが動く仕組みや様々な外的・内的刺激に適応してゆくメカニズム、またはトレーニングなどの様々な介入がもたらす効果の有無やその大きさなどを、全て検証し実証することは不可能ですし、明確でないことばかりです。なぜなら、科学的測定技術には必ず測定の限界があり、さらには倫理的な問題なども生じることから、現在は検証が不可能なことが多々あるからです。よって、「科学的に何度も検証・実証され、事実として認識されていること(証拠)に基づいたトレーニング」を行おうとすると、身動きが取れず何もできなくなってしまいます。このようなことから、「スポーツ現場の方が科学よりも遙かに進んでいる」とか、「科学的研究は全て後付けである」という言葉を多くの人が言うのだと思います。しかし、私は、このような科学とスポーツ現場をつなげる認識のしかたは、正しいようで正しくないと考えています。

 

では、科学的とはそもそも何なのかという疑問が生じます。大辞泉によると科学とは「考え方や行動のしかたが論理的、実証的で系統立っているさま」と定義されています。そして、16世紀にガリレオ・ガリレイやフランシス・ベイコンが築いた科学の方法とは、

1)問題を明確に認識する

2)問題を説明する原理を仮説としてたてる

3)仮説に基づくと、どの様なことが生じるかを予測する

4)仮説によって予想される結果が実現するかを実験または観察により検証する

5)仮説、予測、実験結果という3つの基本要素を組織づけるできる限り合理的で簡潔な理論をつくる

 

という5段階の系統だった方法のことで、物事を合理的に検証するのにはとても適しています。このような科学の方法で一つの研究を行うと、必ず新たな問題が認識され、次の研究課題が見つかり、新たな研究につながっていきます。

 

よくよくこの科学の方法を見てみると、実は、トレーニング目標の設定やトレーニングプログラムの立案及び実行、そしてその効果の検証などのトレーニングにおける一連のプロセスに置き換えることができます。例えば、

1)その選手(チーム)のパフォーマンスの低い点(問題)を認識する

2)そのパフォーマンスの低い部分に体力・筋力的要因が影響を及ぼすメカニズムを仮説としてたてる

3)その体力・筋力要因をトレーニングなどにより改善した場合、どのようにパフォーマンスなどへ影響するかを予測する

4)実際にその体力・筋力要素を改善させるためのトレーニングを選手に行わせ、予測されたトレーニング効果及びパフォーマンスへの影響を測定、観察し、検証する

5)仮説、予測、トレーニングの結果(トレーニング効果、パフォーマンスの変化)という3つの基本要素を組織づけるできる限り合理的で簡潔な理論をつくる

 

上記の1)~3)が明確になると、明確なトレーニング目標が自然と生まれてきます。トレーニング目標が明確になると、その目標に到達させるためのトレーニングプログラムの方向性が自然とできてきます。当然のことながら、どのようなトレーニング効果が得られるのかは、この段階で予測しているはずです。そして、トレーニングを選手などに行わせながら、定期的にトレーニング効果を様々な方法で定量化し検証すると、予想通りのトレーニング効果が生じた部分や、予想外のトレーニグ効果が生じた部分も、より明確になります。すると、必ず新たな問題が認識され、トレーニングの次の課題が浮かび上がります。そして、次のトレーニング目標やプログラムの修正などに繋がっていきます。

 

前述のように、一般的には「研究者の行う研究により検証され、既に事実として一般的に認められたもの」に基づいてトレーニングを行うことのみが「科学的トレーニング」と思っている人が多いと思います。しかし、「科学的トレーニング」を「科学の方法に基づいたトレーニング」と定義すると、上記のような系統だった方法で行われるトレーニング実践の全てが「科学的トレーニング」となり、「科学的トレーニング」の幅が格段に広がることになります。つまり、前者の考えではトレーニング指導者や選手が「科学的トレーニング」を行おうとすると自由度が一気に無くなるのに対し、後者の考え方の「科学的トレーニング」では、自由度が一気に広がることになります。

 

よく、「経験主義のトレーニング」という言葉をききますが(ネガティブな意味でも聞くことが多いのですが)、実は、データを取って分析し、それに基づきトレーニングを行う、ということも、同じく「経験主義のトレーニング」です。なぜなら、「データを取る」ということも経験するということだからです。我々は超複雑系の人に対して何かをしようとしているのですから、測定可能なデータはできる限り取って、より詳細に分析をしながら実践をして行った方が、よりよい「経験」をし、次に生かすことができると思います。

 

以上のことから、私は「科学的トレーニング」の根拠となる知見を生み出す科学的研究活動は、研究者のみが行うのではなく、トレーニング指導者などのスポーツ現場の人間が自ら行ってゆくべきことだと思っています。トレーニング指導者自身のトレーニング経験や指導経験は、良いトレーニング指導者になるための絶対必要条件であることは疑いの余地はありません。しかし、トレーニング指導者がより自らのプロフェッショナルとしての質を向上させていくためには、科学者的視点、分析力、論理性、常識的判断力、そして科学的態度を常に鍛え続けることが必要だと思っています。そして、科学の方法によるトレーニグ指導無くしては、社会にその仕事の客観的効果や価値を提示できませんので、科学的トレーニングの実践はトレーニング指導者の社会的地位の確立に対しても非常に重要な役割を担うはずです。本研究室では、科学的トレーニングの実践を目指す全てのトレーニング指導者に少しでも役に立てることを目標に研究活動を続けています。